花火大会見物記 1999年Guy Fawkes Day |
![]() 諏訪湖の花火 |
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イギリスの花火大会 1999.11.7仕事の関係で現在イギリスに滞在しており、そのお陰で今年は残念ながら日本の花火大会を見ることはできなかった。その代わりイギリスでの花火大会、Guy Fawkes Dayを見る機会を得た。もっとも「その代わり」というには「日本の花火が見れない」という代償の方が大きすぎる。何しろこの国では「花火をするのはこの日」と決まっていて、全国あらゆるところで行われる。見る側からすると、日本のようにあちこちの大会を見て回ることができない。見る方も「年に一度のお楽しみ」なのだ。しかし外国で花火を見るというのも、またその国の文化の一面を見る思いがする。揚げる玉はおおよそ世界共通なのだが、揚げ方はよく見ると国によっては違う。「年に一度しかない」というのも、ある意味ではこの国の「花火文化」の重要な一面なのかもしれない。 日本の熱海や八景島の花火大会では、毎年外国の花火師を招いて「日本の花火師と腕比べ」をやらせているが面白い試みだ。たぶん、何も知らずに見ていれば「今のは日本の花火じゃないんだ」ということも分からないだろう。でも「次はフランスの花火師による打ち上げです」というように知らされていると、「なるほど日本のと違うな」と思えてくるものだ。そして現地でその国の花火大会を見ると、「なるほどこういう場所でやるから、ああいう演出になるのか」と納得したりするので面白い。 花火の日日本では「花火は夏にやるもの」だが、何月何日が花火の日と決まっているわけではない。隅田川なら7月の最終土曜日、長岡は8月の2、3日と個々の大会はそれぞれ予定日があるが、別に日本人全体が花火を見に行く日なんてものは存在しない。隣町同士は花火大会の日が重ならないようにスケジュールを調整しているくらいで、夏の間はほとんど毎日のように日本のどこかで花火大会が行われている。そのお陰で「花火マニア」は夏になるとあちこちの花火大会をハシゴするということが可能となるのである。 ところが海外では事情が異なる。国によって違うが、「花火を見る日」というのが1年に1日あるのだ。アメリカの場合は独立記念日であるし、フランスなら革命記念日という具合だ。「年に一度」ということなので見る人たちの期待度というか盛り上りもまた格別なのだが、 「花火マニア」からするとちょっともったいない気もしないではない。ただ、全国同じ日にやれば隣町まで見に行くようなことはせずに、皆自分の町や市の大会を見に行く。だから日本のように会場が大混雑になるということもないのだろう。しかし見る方が「1年に1回」ならば、揚げる花火師さんたちも年に1度。はたしてこれで商売がなりたつのだろうかと人ごとながら心配になってしまう。 さて私がいるイギリスの場合、花火の日はGuy Fawkes Dayと言って11月の第一土曜日(今年1999年の場合11月6日)に決まっている。アメリカ独立記念日やフランス革命祭の7月に比べるとかなり遅い。これにはいろいろと事情がある。夏場の方がもちろん気温が高いので夜になってから出歩きやすいのだが、イギリスは緯度がかなり高い(北海道よりも北にある)ため、昼の時間がかなり長くなる。その上「サマータイム制」をとっているものだから、7月8月は夜の9時になってもまだ明るいのだ。これでは暗くなってから打ち揚げ始めるとすぐに夜中になってしまう。子供を連れて花火を見に行くなんてことはおいそれとできないのだ。花火大会ではないが、花火を使ったイベントというのは夏場にいくつか企画されるようだ。結局遠くて見に行けなかったのだが、コンサートと花火をミックスしたようなイベントがある。もちろん大人対象なのでクラシックコンサートなのだが。多分終わるのは夜中になってしまうのだろう。
Guy Fawkesとはそのようなわけでイギリスでは11月初旬に花火の日が組まれている。この頃になると昼がかなり短くなる。さらに10月終わりでサマータイムが終わり、1時間時計が戻される。そのため夕方5時になるともうかなり暗くなるのだ。 さて花火の日をこの国ではGuy Fawkes Day(ガイ・フォークスの日)と呼ぶ。Guy Fawkesは歴史上の人物である。しかし決してヒーローというわけではなく、むしろ悪役である。17世紀はじめイングランドのエリザベス1世が亡くなり跡取がいなくなった。そこでスコットランドの王であったジェイムズ6世がイングランドの王となった。当時のイギリスはかなり混乱していたらしく、プロテスタントとカソリックの宗教対立も深刻であった。そして1605年、カソリック教徒たちが国王ジェイムズと国会議員を暗殺しようと国会議事堂に爆薬を仕掛けたのだ。この事件は結局未遂に終わり爆発は起こらなかったが、そのカソリック派の首謀者がガイ・フォークスであったのだ。 どういうわけだかこの「爆弾未遂事件」、というよりその主犯格の男を記念する形で花火大会が行われるようになった。Guy Fawkesはもちろんこの事件で処刑されてしまうのだが、意外なことに永遠に名を残すことになったわけだ。またイギリスの議会では今でも開会前に親衛兵が議事堂を探索して爆薬がないかどうか調べるということが「儀式」として行われている。このあたりはいかにもイギリスらしい。 もっとも現代のイギリス人にとってGuy Fawkesがどういう人物であったかはどうでもいいことなのだ。とにかく11月の最初の土曜日は「花火の日」と認識されている。そしてGuy Fawkes Dayが近づくと、ふだんは売られていない玩具花火が町中で売られる。Guy Fawkes Dayの1週間くらい前から、夜になるとそこら中から花火の音が聞こえてくる。それも見ていると結構危ないことをやっている。打ち上げ花火の音がするので、「近くでやっているのかな?」と思って外に出てみると、何と隣の家の裏庭からロケット花火を打ち上げたりしている。こちらは建物は石作りだし、電線は地下に埋められているので火事の心配は少ないのだろうが、それにしても決して広いとは言えない場所から結構でかい花火を揚げているので見ていてヒヤヒヤする。事実こちらの人に聞くと、この時期は花火による火事が多発するそうだ。 大会会場さてGuy Fawkes Dayの当日、私の住むBristol北部ではDardham Downという公園で花火の打揚げがあるという。こちらの公園というのは平らな土地に芝が広がっているというものだ。もちろん日本では見られないくらい広い。普段は散歩したり、サッカーやクリケットをして遊ぶところだ。当日になると公園全体をテープで囲んで、中に入るには入場料2ポンドが必要になる。ちなみにこの公園はもちろん公共の土地で、Bristol市が管理している。花火大会自体は市が金を出しているらしく、日本のような企業スポンサーはいないようだ。一緒に行った人に聞くと、入場料はチャリティーに回るそうである。警備には警官が当っていたが、それ以外の入場料をとったりしている人たちは Bristol Fireworks Festivalという委員会のメンバーだが、ボランティアのようであった。 とにかく2ポンド払って会場の中に入ると、そこはふだんは見られない光景であった。広い公園の中に出店(日本でいうテキヤのようなもの)がたくさん出ているのだ。ホットドッグやハンバーガーなどの食べ物を売る店、射的ゲームのような店、それに下の右の写真のような子供が乗って遊べる乗り物マシン、お化け屋敷のような出し物まであった。日本でも花火大会になれば店がたくさん並ぶので見なれた風景ではあるのが、こちらのはちょっとスケールが大きい。食べ物屋も日本のような軽トラックで運んできて組み立てるというものではなく、トレーラーの荷台がそのまま店になる。つまりそれくらい大きいのだ。また下の写真のような射的の店や乗り物施設も、トレーラーで運んできて、その場で組み立てられるようにできているようだ。
観客はだいたい花火の始まる30分くらい前になってようやく入ってくる。日本のように何時間も前からマットを敷いて場所取りをするという光景はない。花火自体も1時間くらいで終わるので、皆座らずに立っているのだ。花火が始まるよりも早く来てしまうとやることがないので、上の写真のような出店でハンバーガーを買ったり、ゲームをしたりして時間を潰すのである。ちなみに見て回ったところトイレがなかった。日本だったらまずトイレの看板が一番大きく出ているだろうに。またビールなどのアルコール類は売っていなかった。11月のこの時期はすでにかなり寒く、夜は手袋とマフラーが欲しいくらいであったのでビールどころではない。ビールなど飲んだらすぐにトイレを探す羽目になりそうだ。 ちなみにイギリスの料理が不味いことは世界的に有名だが、このようなところで売っているハンバーガーやホットドッグは「ことのほかイギリス的」である。不味い上に値段も高く、ハンバーガーが1つ2ポンドもする。まあ、イギリスに半年も住めばこういうものは「買ってはいけない」ことは充分に心得ているので、事前に少し食べてきてはいるのだが。 まずはBonFireショーは6時45分から始まるということであったが、日本のように時間きっちりに始まらない。なんだかんだと遅れてしまうのがイギリスらしい。7時をちょっと過ぎたところでまずBonFireが始まった。これは単なる「焚き火」である。高さ3メートルくらいの台が組まれており、そこに蒔だとか導火線がセットされている。時間になるとまずそれに点火してGuy Fawkes Festivalの始まりとなる。目当ては花火だったので後の方にいたため,このBonFireは間近では見られなかった。
打ち上げは舞台的演出?公園の一角に鉄パイプの柵が儲けられてあって、手前が観客のエリア、その向こうにこのBonfireのやぐらが組まれていた。最初そこはBonfireだけのエリアだと思っていたのだが、花火の打揚台もそこに設置されていた。実はちょっと早めに行って会場を見て回ったのだが、5時半頃すでに暗くなっていたため、打揚台を見つけることはできなかった。というようりも、公園の向こうにある川で揚げるのを、この公園から見るのだとばかり思っており、そんな近くに花火の発射台があるとは思いもよらなかったのだ。
しかしその観客の目の前の場所で、花火が打揚げられるのだ。Bonfireが下火になる頃、もっともこれも予定よりも15分ほど遅れて、花火打揚げが始まった。上の写真ではちょっと見にくいが、実は公園の中に水道塔という建物(左の奥に見えているのがそう)があり、その前にかなり高い木が植わっているのだ。そしてその手前に打揚げ台が設置されていた。さらにそこから「100メートルもないよな」という距離にフェンスが置かれている。つまりそういう狭い場所で打揚げが始まったのだ。 最初は噴水花火の巨大な花火が何発も上がる。上がって上空で爆発する、いわゆる打揚げ花火もあるのだが数が少ない。しかしそれも見ているうちに分かってきた。日本の花火大会では観客のいる場所からかなり離れたところに打揚げ台がある。あるいは川に船を浮かべてそこから打ち揚げて、観客は川の両岸から見る。揚げる場所と見る場所はまったくの「別空間」で、上空だけが花火師と観客が共有する空間なのだ。打揚げ場所はいわば「舞台裏」にあたる。そのため日本の花火は「遠くから見上げる」ものであり、花火師たちもそれを前提で演出に趣向を凝らしている。しかしこのイギリス式花火はそうではない。客と花火師(実際には電気発火なので打揚げ台だけなのだが)が同じ空間にいて向き合っている、つまり「舞台型」なのだ(この場合バックには水道塔があるので、観客はそちら側にはいない)。そのため上空で開く打揚花火だけではなく、地上から上がるところが見える噴水花火でも十分に演出効果があるのだ。そういえば昔八景島で見たフランスの花火も同じような舞台型の演出をしていた。イギリスというより、ヨーロッパの花火というのはこういうものなのかも知れない。 もちろん打揚花火もあるが、観客席と近いのでそれほど大きな玉は揚げられない。おそらく割モノで3号玉程度であろう。だから単純な牡丹・菊しかできない。八重芯やら色変化を見せる玉はさすがにこのサイズでは揚げられないようだ。最後はスターマインで締めくくったが十数発程度で、ちょっと物足りない。ポカモノは結構大きなものを揚げており、蜂や小割千輪菊などもいくつか見られた。上がっている玉は大きくないが、それでも間近で上がるだけあって臨場感はある。「メインの花火が2尺玉、いやウチの町のは3尺、4尺だ」という競争はこの国では見られることはないであろう。しかし本当に丸く開く日本の花火や、八重芯変化菊の美しさをイギリス人に見せてやりたい気持ちもした。 おまけさてポカモノ花火に組み込まれていた蜂だが、噴水と一緒に地上から空に向かって飛んでいくタイプもあった。グループの中にいたイギリス人の女性に「あのクルクル回るやつは英語で何ていうか知ってる?」と聞いてみた。日本でもあれを「蜂」という名前の花火だと知ってる人は少ない。イギリス人が知っているわけはなかろうと思って聞いたのだが、彼女は平然と「Katherine's Wheelっていうのよ」と答えた。昔St. Katherineというシスター(修道女)がいて何かのカドで捕らえられて処刑されてしまったのだが、その時車輪に張付けられて回されながら火刑になったのだそうだ。それで火車のような花火のことを Katherine's Wheelと言うらしい。 イギリスの歴史の本を読むとこの手の残酷な処刑の話がたくさん出てくる。それをまた皆が(子供も)知っていて平然と話すものだから、聞いたこちらが驚いてしまう。これもまた文化の違いというものであろうか?Guy Fawkesにせよ、St. Katherineにせよ失意のまま殺され、まったく自分が望まなかったであろう形で後世に名を残しているのだ。 |
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